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風俗嬢の本音パート2

彼氏は可愛いほど素直なのに客はなんで痛いつっても続けるのか。
なんで客ってそんなひねくれてるの?
あ、誰にも愛されねー醜い生き物だからか。
とりあえず首くくりなよ。



誰にも求められてなくて金払っても嫌われてて加齢臭してて
あとデブとハゲって揃ってるなら死になよ。



プレイ中もあと何分?何分?ってうるさいし。
まぁ私ほどの時短のプロになるとそれでも時短できるんですよ。
私の許される最大時短数は9分までと思っているので8分時短しました。
バーカww



手マンしようとして嫌がらせかってくらい爪痛かったから
爪痛いんで無理ですっていったらさっき切ったんだよ!
って言って尖りまくってて痛いし反対の手なら触っていい?とかマジでキモイ。
両方切りたてだから痛いの変わらないし、何が何でもまんこ触りたがり、まじキモイ。
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風俗嬢の本音1

てかこの仕事は好きでもない人にお金を頂いてお仕事として割り切って
セックスしなあかんから気持ち悪くてセックスが嫌いになるし、セックスが好きな人ほど向いてないと思う。
よって客の「エッチ好きやからこの仕事選んだんや〜」は、立証されない。
お金のため、ただそれだけやのに。


プラベでセックスしても
風俗経験ここまで長いと
「あ〜下手だな〜飽きてきたな〜
てか疲れたな〜寝たいな〜早くイかないかな〜てかなんでこれで金入ってこないんだろ~」
とか思ってしまうあたり
あぁ私風俗に染まったなと思う。


男:パンパンパンパン
私「アンアンアンアン」
男:パンパン…パン…パン…(突然ゆっくりになる)
私「アンアンアンアン…(やべ喘ぎ声ズレた)」

あるある探検隊!あるある探検隊!



本当に店外誘わないでほしい。最近本当に店外の誘いがストレス。
社会に出て働きづめで独り身だったり家庭があっても女っ気がなくて寂しいのかもしれないけど
こっちも仕事で接してるってこと分かってほしい。
貴方はデートのつもりでも
休日に無給でフルタイムで出勤しろって言われてるのと同じなの。

気持ちいいセックスをしたい

今では、SMから逃れることができなくなったわたしが、SMとの最初の出会い、そのときに感じたこと、周りの方達との繋がりを思いつくままに書きたいと思います。
皆様にとっては、退屈でつまらないことですが、わたしの思い出として残したいと筆を執りました。
55を過ぎて、主様に初めてSMプレイをされたのですが、それは浣腸でした。浣腸がプレイの1つであることは、大学生のときに覗き見た雑誌で知っていましたが、その行為を初めて目撃したのは兄が母からされていた場面でした。
それはわたしが小学校の3年生の時です。わたしには4つ上の兄を始め、5つ、7つ、8つ上に姉がいて、わたし自身は末っ子でした。兄や姉がいることで、わたしは自分勝手に育てられたと兄弟から言われています。昭和40年頃は、便秘したら当然のごとく、熱を出したりすると浣腸で治すという習慣があったようで、各家庭に浣腸器も常備されていたと母や姉からよく聞かされました。
学校から帰宅したわたしは、中学生の兄が母から怒られている場面に遭遇してしまったのです。
わたしの家は印刷会社を営んでおり、通りに面して会社建物があり、1階は工場2階が事務所になっていました。その奥には住まいの家屋が建っており、父や母は会社と家を行き来しながら仕事に励んでいました。高校を卒業した姉たちも後には一緒に働くことになり、毎日、顔を合わせているような状態でした。
その日の兄は前日から熱が出たために学校を休んでいました。その兄が母親と言い争っている現場に出くわせたのです。
「母が小榎先生も言われているから○▼□※//☆○・・」
「※//☆○なんか、イヤだっ!!!」
小さかったわたしは二人がしゃべっていることが理解できずに、ただ怖くて母親の腰に抱きついていました。しかし、あの頃は、先生や親の意見に子供は逆らうことができない時代で、兄が涙目でいやいや四つん這いになっていました。
その兄のパジャマのズボンを下ろした母は、手にした大きな浣腸器を使って、兄に浣腸を施していました。わたしは兄が大きな注射を母親にされていると思って恐々と覗いていました。兄はウウッ~~って声を上げ、涙を流して耐えていましたが、浣腸器が抜かれるとウワァ~~と泣き出して、前とお尻を押えながらトイレによろめきながら走り出したことを思い出します。そのときの兄のチンポと手で押えているお尻が印象的でした。
その災難が自分に降りかかってきたのが、高校3年生のときです。
わたしは市内の私立女子高CJ学園に通っていて、美大を目指していました。美大の受験科目は現代国語と実技でした。学力よりも実技が優先される試験でしたので、わたしは近所の予備校の対策教室に通って腕を磨いていました。受験も東京ではなくその予備校で地方試験があると言うことも魅了でしたし、予備校も家から歩いて5分ぐらいで行ける環境としては申し分ないものでした。
わたし自身も先生からギリギリ合格レベルにはあるだろうと言われて油断していたこともありました。その油断が受験日の1週間前から風邪を引いてしまうことになったのです。受験の1日目は学科が昼から、2日目の実技が朝からと時間的には余裕があるのですが、風邪を引いてしまったと言う後悔と、ギリギリだと言う不安と緊張から、初めて便秘も引き起こしてしまっていました。それまでに便秘の経験がなかったわたしにとっては、出ないと言うことがさらに不安を高めて、症状を悪化させることになっていました。
受験当日は微熱程度まで下がったのですが、鼻水が止まらず、便秘も5日ほど続いた状態で現国の試験を受けました。学科試験はそれほど難しくなく机に座って受けるのでさほどの問題もなくいつもどおりに解答することができ、一安心しましたが、次の日の実技試験は、体を動かすこともあり、鼻水と微熱で節々が痛いわたしには酷に思えて母に無理そうだと言いました。
母からは油断するわたしが悪いと散々怒られ、熱も下がってきているのだから解熱剤を入れてがんばりなさい。と、怒られてしまいました。
解熱剤は肛門から入れるのですが、わたしが便秘しているからと白状すると母からまた怒られてしまいました。母はすぐに行きつけの小榎内科小児科の小榎先生に電話して対処法を聞いていましたが、先生は暇だったのか、すぐに往診に来てくれました。
試験から戻ってすぐにわたしは居間の隣の客間に布団を敷いて、横になって寝ていました。先生は来るなり、体温計で熱を測り、聴診器を胸とおなかに当てて、熱は下がって来ていると言うから、便秘が治れば大丈夫だろう、試験は頑張りなさい。と、言われました。先生も「熱は便秘のせいかもしれないね。浣腸して、座薬を入れて汗を掻いたらよくなるよ。」と、言い、先生は「圭(母のことです。)ちゃんのところに浣腸器はあったよね。と、笑いながら母に浣腸をしておくように言って帰っていきました。
「美紀子、便秘を治して、座薬を入れるよ。」
便秘して5日目のわたしでも、苦しさよりも恥ずかしさが先に来て、母親に向かって力なく首を振り拒否しました。昔、兄が母親に逆らっていたことが思い出されます。そのときの兄の気持ちが今になってわかり、当時の兄の態度にも納得していました。しかし、母は、そんなわたしの気持ちを無視するように
「紀子(7歳上の姉)、麻紀子(5才上の姉)、美紀子に浣腸をするわよ!
ちょっと、手伝って頂戴!」
 その頃は、1番上の姉を除いた2人の姉たちは、短大を卒業して実家の印刷会社の手伝いをやっていました。母は会社にいる姉たちに声をかけて、家に戻るように言っているのです。その声は大きく、会社にいる父、兄、義兄を含めた従業員の方達にも聞こえているようでした。
「イヤよ!!お母さん、いやって、高校生にもなって恥ずかしいじゃない。
されたくないわ!!」
わたしの脳裏には、小学生の時に垣間見た兄の哀れで情けない姿と表情が浮かびます。
「絶対にイヤだって・・・もう、薬を飲んで寝ていれば治るから、ほっといて・・・」
「それじゃあ、だめよ。小榎先生も言っていたのだから、言うこと聞きなさい!
美紀子がすぐに対処しないから、こじらせたのよ。
自業自得だし、明日の実技試験を頑張らないといけないでしょう。」
「お姉ちゃんたちもそう思うでしょう。」
家に戻っていた姉二人は母の言い分に、うなずいていました。わたしも母が本気なのを悟って、慌てて逃げようと立ち上がりましたが、弱っていたせいか、母に袖を掴まれると、座り込んでしまいました。逃げるには、泣く事が一番と思いわたしは膝をついて泣き出していました。しかし、同性の母には通じませんでした。わたしの手を離さずに、姉たちには薬箱を持ってくるように命じ、薬局にグリセリンを買いに行かせたのです。
我が家の薬箱は古くから伝わっている物らしく、かなり大きな薬箱でした。姉は納戸からそれを持ち出してきていました。箱のふたを開けると、そこには包帯やガーゼ類それにヨーチン、赤チンやオキシフル他に軟膏等が並べられていました。それらが入れてある中蓋を外すと吸い口、脱脂綿、正露丸や風邪薬と並んで浣腸器の箱がありました。
グリセリンを買いに行っていた姉も戻ってきました。母から指示された姉がプラ容器に水を入れて、グリセリンの瓶と一緒に洗面器の中に入れて戻ってきました。もう一人の姉はちり紙の束とタオルを持ってきます。姉たちはわたしが寝ている布団の横にタオルを敷き、洗面器の中でプラ容器にグリセリンを注いで浣腸液を作り始めていました。
わたしも、母が本気なことに気づいて、頭を下げて止めて欲しいとお願いしていましたが、母が止める様子はありませんでした。浣腸の効果がどのような物かは経験がないわたしにはわかりませんが、目の前にある浣腸器の大きさにわたしは恐怖を覚え、それをお尻に突き刺される屈辱や羞恥から逃れようと足掻いていました。
母は姉たちにわたしを押さえてお尻を上げるように命じました。姉たちは日頃のわたしの態度に不満を抱いていたのもあって、母親の指示に従ってわたしを押さえます。
一人の姉がわたしの手を握って手を押さえると、もう一人の姉は腰に手を回し、わたしを膝立たせてお尻が持ち上げました。わたしは微熱の中、必死に体を揺すって抵抗をしましたが、上半身を姉たちに押さえられていては抵抗にはなりません。母がパジャマのズボンを引き下げたところで、わたしは抵抗を止めて覚悟を決めました。
「美紀子、なんていうパンティ穿いているの!厭らしい!」
 当時、セックスをやりまくっていたわたしは横紐のビキニパンティを好んで穿いていました。その日も黒のレースのパンティだったので、厳格な母が目を見張るのも無理ありません。ストッキングも黒で真っ赤なガーターリングで太ももに止めるズベ公ファッションでブイブイ言わせていました。
下半身を丸出しにして、押さえつけられた惨めな姿を晒しているわたしを、会社と家を往復している父や兄も見まいとしながらもチラチラ見ているのがわかります。
「お母さん・・・恥ずかしい・・・お父さんも兄貴も見ている・・・止めて!」
「何、言っているの!見られて恥ずかしいのはわかるけど、
小榎先生からも言われたでしょう。
あんたの治療なのだから、少し恥ずかしいぐらいは我慢しなさい。
小さい子供じゃないんだからね!」
 ついに母が浣腸器にお薬を吸い上げて、わたしの後ろに立ちました。わたしは姉たちの手を振りほどこうとしましたが、体がだるく思うように抵抗ができません。

しちゃいけないところでのHはある?

先週の今日、パートナーと箱根ユネッサンに行きました(*´ω`*)

コーヒー風呂がほぼ貸しきりになったから、パートナーにいたずらしてたら、、、


だんだん興奮しちゃって、ちょっとだけ水着脱いでパートナーの上に///

たぶん、離れたとこにいたカップルと、男子中学生5人組には、湯の中でなにが起きてたかバレたかも←